由緒
御祭神・藤原采女亮政之公を奉る、
日本で唯一の「髪」の神社。
古(いにしえ)から髪は女性の命と言われてきましたが、それは男性の髪も同じです。
髪の形を変えるだけであなたのイメージが大きく変わることを想像されれば、納得されるのではないでしょうか。
御髪神社が、百人一首に詠まれています京都嵯峨野の小倉山・亀山天皇の御陵の近くに建立されましたのは、御髪神社の御祭神であります「藤原采女亮政之(うねめのすけまさゆき)公」と、亀山天皇と大変深い縁があるからです。
亀山天皇(一二五九〜一二七四年)の御代に藤原鎌足の末孫で、皇居の宝物守護にあたる武士でありました北小路左衛尉藤原基春卿は、文永年間下関に居を構え、紛失した宝刀『九王丸』の探索にあたりました。
基春卿の三男、藤原采女亮政之は、その間、生活の糧を得るため、その地に於いて庄屋の婦女の髪を結って父を助けました。
これが『髪結い職』のわが国の起源となります。
基春卿没後の弘安四年(一二八一年)政之公は、住いを鎌倉に移しました。
政之公は、建武二年(一三三五年)七月一七日に亡くなりました。が、その立派な処世と功績により従五位を天皇より賜りました。
明治三九年には長野の善光寺に開祖として墓碑も建立され、昭和の初めまで、全国の理・美容業者は、敬髪と始祖のご冥福をお祈りするため、政之公のご命日の一七日を毎月の定休日としていたのです。
髪の健康・資格試験合格などの
御祈祷、参拝。
御髪神社は政之公を祭神とし、御髪大神と称え祀り『髪』すなわち『神』に通ずるものとして、基晴卿、政之公と最も縁の深い亀山天皇御陵地の小倉山山麓に建立され、主神の政之公の御神像をご本尊として祀っております。
これまで崇敬し参詣される方々から神力あらたかな神社として、現在では、理・美容業界のみならず多くの人々に崇敬されております。
神社の境内には、皆様から献納された「髪」を納祭しました髪塚もあり、日々神職により祈拝を受け、毎年の御大祭日には、業祖感謝祭と髪供養をもって髪より受ける大きな恩恵に感謝しております。
洛西嵯峨野は、今なお俗化をまぬがれた京のふるさとであり、静寂と侘びを求めて史実の跡を訪ねられる折には、御髪神社へ御参詣されて、報恩感謝とご加護を祈願いたしましょう。